喪女の奇妙な冒険

負けるな!Eランク人間!

あの光はね

彼氏と別れた。別に付き合おうとか別れようとか言ったわけでも言われたわけでもないから、彼氏って言っていいのかも分からないけれど。初めてセックスしたときに「ねえこれって私たち付き合ってるの?」と聞いたら「知らない。」と言われてなんて無責任なヤツなんだと思ったことは覚えている。それからは何となくずっと一緒にいて、というか彼はフリーターで暇人だったから私の家に入り浸っていて、特に2人で遊びに行ったりとかはしなかったけど2人で過ごす無意味な時間が私は結構好きだった。

 

 

 

仕事帰り、もう寝てるかもなって静かにおうちに入ったら、リビングで彼が友人と電話をしているのが聞こえた。彼は私の家のことを"彼女の家"と呼んだ。知らないって言ってたのにいつの間にそういうことになったのかなあ、テキトーなヤツだ、と私は思った。セフレって言ったら体が悪いからそう言ってるだけかもなあとも思ったけれど、そのテキトーさがどうしようもなく愛しかったから。私は何も聞かなかったフリをして「ただいま。」と言った。彼は「あ、帰ってきたから切るわ。じゃあな。」と電話を切っただけで私におかえりは言ってくれなかった。

 

 

 

夏が終わりかけのある日、夜2時過ぎくらいだっただろうか。彼がどうしても寝れないと言うので一緒におさんぽすることにした。私が暗い道は怖いからと明るい道に進みたがると、必ず彼はそんなのつまらないと言って暗い道へ暗い道へと進んで行った。くたびれた白いスウェットを着て暗闇に溶けていたいと言う彼を、私は厨二病くさいと言って笑った。あの日も彼は暗い道へと行きたがって、私はそんな彼について行った。人影も街灯もほとんどなくて、立ち並ぶ家はみんな眠りについていたから、すっかり細くなってしまった月以外私たちを照らすものはほとんど何もなくって、彼が吸うタバコの火だけが赤く燃えていた。なんだかそんな気分だったので、私にも一本ちょうだいとおねだりすると、彼はやめとけと言った。もういい大人なんだから今更タバコを吸おうなんて思うなよ、って。「じゃあなんであなたはタバコを吸っているの?」と聞いたら「ガキのときはタバコとかかっこいいと思っちゃうだろ、周りが吸ってるの見てかっこいいと思っちゃったんだよ。お前はもういい大人でちゃんと判断力もあるんだから、今更わざわざ吸うなよ。吸ってもいいことないし。」と返された。お前の方がいい大人じゃないか。「禁煙すればいいじゃん。」既に喫煙歴10年以上の彼にそう言うと、「今更無理だよ、意志弱いの知ったんだろ。」と言って彼は少し笑った。タバコはあまり好きじゃなかったけれど、彼がタバコを吸う姿を見るのは結構好きだったので、私はそれ以上何も言わなかった。

 

私たちはずっと歩いた。ゆったりと、歩いた。長い階段以外に選択肢がなくなってしまったので私は帰ろうと言った。帰りたいならひとりで帰れば、と彼は答えた。スマホも持たず出てきてしまったから、方向音痴の私がひとりで家まで帰れないことなんて分かりきっているはずなのに。ひどいヤツだ。私はいっつも彼を指針に歩いていたから。仕方なく、彼と一緒にその長い階段を登ることにした。彼は階段の段数を数えながら登っていたけれど、138段目で数えるのをやめてしまった。その後はただ黙々と、二人で階段を登った。登りきったらそこには綺麗な夜景が…なんてこともなくて、ただまた薄暗い道が、しかも緩やかな上り坂が、続いているだけだった。私はとうに家に帰りたい気分だったのだけれど、彼はまだまだ帰る気がなさそうだったのでそのまま一緒に歩いた。そんなに経たないうちに、道は行き止まりになってしまった。そこにあったのは墓地だった。広い広い真っ暗な墓地。そして墓地たちに覆い被さるように生えている一本の大きな木。他には何もなくて、普通だったら怖いと思うのかもしれないけれど、私はなんだか安心感を感じた。彼もきっと同じような気持ちだったんじゃないかなと、そう思う。少し歩き疲れた私たちは、二人で石段に座った。木が作る陰で月の光は遮られ、あたりは一層暗くなった。何を話すでもなく、彼はタバコに火をつけ、私はただそんな彼を眺めていた。3本目のタバコを吸い終わる頃、彼がふと呟いた。「この木、秋になれば色変わんのかな。」「さあ?変わるかもね。」特に興味がなかった私は、そう答えた。「また秋になったら、来ようよ。」彼が未来の話をすることなんて滅多にないから、私は少し驚いてそして少しワクワクした。でもその気持ちを悟られるのはなんだかとても悔しかったので、私は「いいよ。」と素っ気無く答えた。

 

 

11月になった。彼からはここ1ヶ月と少し、連絡が来ていない。いつ死んでもおかしくないような人だったから、少し心配になって、合鍵を引っ張り出して家まで様子を見に行った。久しぶりの彼の家にはその時誰もいなくて、彼の帰りを待つか少し迷った。相変わらず汚いなあなんて思いながら軽く片付けをしていると、私のものではない女物の下着が出てきた。ああ、そういうことか。私は妙に納得して、静かに家を出た。合鍵をポストに入れたが、チラシでいっぱいのポストからはなんの音も鳴らなかった。別に私たちの間には何かがあったわけではないし、彼と知らない彼女の間にも何かがあるわけじゃないのかもしれないけれど。今後彼から連絡が来ることは一切ないだろうし、私から彼に連絡することももうない。

 

全然悲しいなんて思っていないつもりだったけれど、実は意外とショックを受けていたのかもしれない。2人で眠る時はいっつもベッドが狭いって文句を言っていたけれど、いざひとりになってしまったらやけに広く感じて嫌だった。どうしても眠れなくて、薄暗い部屋でツイッターを眺めていた。私の家は大通りに面しているから、いっつも酔っ払いの声とか救急車のサイレンとかでうるさい。それを嫌だなあって感じることも多々あるけど、そのときはなんだかその喧騒が愛しく感じた。同級生の女が「秋を感じる」とただ自分の可愛さを主張したいような、葉っぱに顔を近づけてほのかに微笑んでいる、そんな写真を投稿をしているのを見てふと思い出した。あそこのお墓の木、どうなってるかな。私はユニクロのモコモコの上着を着て、季節外れのクロックスを履いて、外に出た。今日はちゃんとスマホを持って、歩き疲れたらタクシーに乗っちゃおうなんて考えて財布も持って、出た。2人でゆっくり歩いていたときはかなりの距離を歩いていたように感じたけれど、サクサクひとりで歩いて行ったら、実際には30分もかからなくって私は拍子抜けした。階段はやっぱりきつかったけど。

 

満月に照らされてその墓地はこの前とは随分様子が違って見えた。満月は明るすぎて少し気が滅入っちゃうな、なんて少し思ったりもした。肝心の木はというと、この前と全く様子が変わっていなくて、拍子抜けしたような安心したようなそんな気持ちになった。これから色づいていくのかもしれないし、もしかしたらずっとこのままなのかもしれない。けれど私はもうここに来ることはないだろうし、今後この木がどう姿を変えていくかも見ることはない。知りたいとも大して思わないし。

 

この前おさんぽしたとき、細い月を見て「月、綺麗だね。」と彼が言ったのを思い出した。彼は夏目漱石なんて名前しか知らないだろうから、他意はなかったんだろうけど。それでも私はちょっと嬉しい気持ちになった。キラキラ輝く満月を見て、今日の月はきっと綺麗って言わないだろうな、と思った。だからどうってわけじゃないけど。そんな気がした。

 

 

金輪際会うことはないだろうけれど、どうか緩やかに幸せに生きてくれたらいいな、とそう思う。私も死なないからさ。だから、死なないでね。どうか、お元気で。

 

 

今週のお題「紅葉」